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むかしむかし、イタリアではエトルリア人が平和に暮らしていましたが、知らない間にラテン人がゲロンチョリしました。(潰しました。)←鬼語
ポエニ戦争なんかでフェニキア人とやっちゃいましたが、まあハンニバル以外は戦力的には動物以下だったので、ゾウを餌でてなづけたらちょろいもんでした。
で、三頭政治などが行われましたが、そんなに長いことは続きませんでした。
その一回目では後にカエサルが独裁に走りましたが、そうでもなかったです。

しばらくしたらローマは帝政に入ります。だんだん名前を長くするのが流行りだしました。
その先駆者であるオクタヴィアヌスは、名前なんて何でもいいものをわざわざアウグストゥス(尊厳者)だとかプリンケプス(第一の市民)だとか3つも名前を付けやがったなかなかの悪者です。ちなみにここで元首政の成立です。(帝政とどう違うんだよ)
その後ニ百年間はパックス=ロマーナと呼ばれ、歴史を愛するものとしてはこの上なくつまらない2世紀を過ごすことになります。
ネルヴァトラヤヌスハドリアヌスアントニヌス=ピウスマルクス=アウレリウス=アントニヌス
何の事かは空気読んで判断してください。

3世紀になるとゲルマン人たちが人生のあり方を探すたびにでて、そのせいでローマは混乱しました。また今さらになってペルシアから異民族がやってきて、いよいよ面白くなってきたぞとテンションが上がりつつもローマは大混乱に陥りました。さらに悪い事に暇だった上記5名たちが株・酒・女・競馬に金をつぎ込みすぎて財政が苦しくなり、上記5人は天国で心から反省しました。

そのあとローマはディオクレティアヌス帝やコンステンティヌス帝がローマを分けてみたりまたくっつけてみたりして遊んでいましたが、テオドシウス帝が半分に分けたらそろそろ接合面が劣化していて二度とくっつかなくなってしまいました。

その後ゲルマン人たちは西側をプリ・ド・ゲロンチョリ(マジぶっ潰し)にかかりました。なんだか海の民のような悪質なものを感じます。

東西に分かれた後は遅かれ早かれ空気を読んでそっと教科書から姿を消しました。

ニドランでした。
(次回投稿予定日:世界史が復習したくなった頃)
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2009.06.09 21:57 | 未分類 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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