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タイトルはもちろん高校の部決勝戦の講評。全国大会が終わって夜行バスで帰ってきてから疲れて寝てばかりいたつばくろです。

さて、大会の結果はベスト4、ということでした。
井上円了ホールの演壇に立つことは結局できませんでしたが、昨年、一昨年の結果をこえるという目標は一応達成できたことになります。

さて、ここに来て、とても残念に思っていることが一つあります。
それは、班長になってから「Listen!」を使う機会が一度も無かったこと。
次代での復活を強く望みます。


それはさておき、今回の論題を通して反省すべきと思うことは(もちろんウチの議論にも言えることですが)、やはりどうしても抽象的な概念に依拠した議論になっていたということ。

例えば肯定側がよく使っていた「ニーズ」という言葉。
「住民が必要としているものごと」程度に解釈されていたと思いますが、行政が運営するサービス(医療、教育、老人福祉、公共施設の整備など)についての話なのか、それとも産業発展のかたちなども含めた、「どういう地域をつくりたいのか」という幅広い概念であるのかが明確にされていなかったし、立論中でも混同されている場合が多くありました。
こちらが用意している反駁でも実際にはそのあたりが曖昧になっていて、質疑で明確にするという姿勢よりは、曖昧な概念は曖昧なまま放置したうえで、取り敢えず肯定側が言っていることは上手くできない、という形の反駁を撃っていくことになりました。
否定側でも、たとえば「最低限の生活」とはどういうことをいうのか、格差があってはなぜいけないのか、という点にはほとんど説明が与えられませんでした。

これには論題自体の性質もある程度関係しているような気がします。ディベートで議論できるのは、今までと権限も規模も性質も違う道州という行政単位が誕生したとき、それがどのような振る舞いをするのか、それによって何が起こるのかという点です。しかし、重要性・深刻性の議論には住民の生活や身近なところのレベルまで還元してこなければならないわけです。

日本としてどういう方向を目指していくのか、という見方も重要ですが、それもやはり住民レベルの話に一度落とし込んでからの話です。例えば、「住民の望んでいることを住民自身の手で行えるようにするべき」「弱者を助けるべき」というのは、どちらも住民レベルで起こるできごとを基準にした議論ですし、実際そうでなければこの手のスタンスは弱いでしょう(住民視点で何が起こるのかを議論せずに日本全体としてどうするべきかを議論しても、あまり説得力はない)。

要するに、住民とは全然スケールの違う話から、住民レベルで何が起こるかという話を引きだしてくるわけです。
具体例がよく出てきましたが、権限や財源の話とのスケールギャップが大きいことも多く、プラン語の世界を具体的にイメージさせるという目的はあまり達成されていなかったばかりか、むしろ話を分かりづらくしていた感があります。

そういう中で、決勝否定側の北嶺高校さんは、「サービスを維持するためには財源が不足」という点をきっちり立証されていました。
確かに財源が不足していればサービスを維持できないのは明らかですし、その大きさも(ある程度)定量的に証明されていた分、深刻性とのつながりがイメージしやすかったということがありました(もちろん、それだけが勝因ではないでしょうが)。

抽象的なディベートが悪くて、具体的なディベートなら良いというわけでは必ずしもありませんが、抽象的な議論しかしていないと、最終的にどうやって勝ちたいのかが見えなくなります。無理やり主張しても説得性は薄いと思います。
例えば、「住民ニーズを反映できる」というメリットから、「住民にかかわることを住民自身で決められるようになることが重要だ」という観点で勝ちにいこうとしても、住民がどのようにして行政の意思決定に参加するのか、などの議論が抜け落ちた状態では、この観点には納得しがたいものがあります。
しかし、住民参加のことまできっちりと詰めて議論したうえで、住民の望んでいることができるようになる、という話まで立論で持っていってからこの観点を出すのなら、また話は別だと思います。

なんだかこの話自体がかなり抽象的になってしまいましたが、試合の内容に立ち入るのはやめます。
言いたいことは山ほどありますが、ここに書いていると時間も体力ももちそうにないので。
もし、個々の試合の展開とかポイントが知りたいという方がいらっしゃれば、コメントでもしていただければ快くお答えします。


さて、結果の話をすると、自分はベスト4という結果が取れたことを嬉しく感じているけれども、それ以上に、準決勝まで試合が出来たことを喜んでいるような気がします。

確かに少しでも良い結果を残したい、優勝を目指したいという気持ちで準備からやっていたのは事実です。
しかし、実際に全国大会まで来ると、この場で少しでも長く、1試合でも多く戦いたいという気持ちがかなり強くなったように思います。
結果がどうでもよくなったというわけではありません。ただ、ディベートが出来ること自体の喜びが一番強く感じられた時間だったと思います。
ディベートをやっていて、本当に幸せだと思えた3日間でした。


入学して初めて選択B教室を覗いたときのことは、今でもよく覚えています。
先輩方に温かく迎えられた新入生つばくろは、その日のうちに入班を決意したのでした。

あれからはや、2年4ヶ月。

昨日のことのように、というほどには短くありませんでした。
毎日が楽しかった時もあれば、廃班すら覚悟したときもありました。

現役であるうちは、それらの出来事はすべて「経緯」です。自分が班内で経験した過去のできごとは、自分が班員であるうちは、例えば自分が班長である理由とか、今立論を書いている理由といった、今ここでこういう班活動をしているひとつながりの理由の中身としてとらえられると思います。
しかし、最後の夏が終わった瞬間、それらはすべて「思い出」という形で切り離されてしまいます。それは、自分が班員でなくなった途端、それらの出来事が、「自分がこういう人間であること」の膨大な理由の海の中に放り込まれてしまうからだと思います。

だからこそ、受験が終わったら、またOBとして協力したいと思います。NADE(近畿支部)にも加入したいです。
もちろん、単純にディベートが好きという思いもありますし、後輩たちにもっと良い結果を残してほしい、ディベートがもっと盛んになってほしいという思いももちろんあります。でもそれだけではありません。
弁論班生活の大事な記憶を、ただ時間に押し流されてしまうだけにしないために。


先生、先輩方、後輩たち、大会関係者の皆さん、今までお世話になった全ての方々、本当にありがとうございました。皆さんのおかげでここまでディベートを続け、この結果を出すことが出来ました。ここまでやってこられて本当に幸せです。

それではまた...いつか(そう遠くもないでしょう)この日記でお会いすると思いますが、現役弁論班員としてはこれで最後です。これをもって引退です。

それではまたお会いしましょう。
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2011.08.09 17:05 | 未分類 | トラックバック(-) | コメント(1) |
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